性同一性障がい、瑚心すくいの「私の小さな人生」

私、瑚心すくいが幼少から「性同一性障がい」と向き合ってきた事

わたしんち一家、大阪で人生再スタート

家が火事になってから、少しばかり博多の本家に身を寄せていた私たち家族。

普段から行き来、寝泊まりしていたから窮屈感はなかった。

 

私は小学1年生となり、奈良屋小学校に通う。

母は引き続き区内の電電公社(今のNTT)で電話交換手

父は一念発起して大阪で就職活動。

一家は人生の再スタートを切ろうとしていた。

 

父が決めてきたのは、チキンラーメンを発明した安藤百福社長率いる日清食品

そこで安藤社長に可愛がられ父は営業の第1線でチキンラーメンを苦難を抱え売りまくる。

 

そんな父の苦労を私はつゆ知らずだが、大阪の高槻市に移住してきた私は福岡県からの転校生。その頃から現在の性格形成の兆候はあった。

何故か、ゲタを履いて学校へ向かう。母が慌てて靴を持って走ってくる。

かと思えば、ランドセルを背負わずに身軽に友達と和気あいあいと通学、当然勉強道具等一切持たず、母が慌ててランドセル持って走ってくる。

たまにではあるがそれをわたくし本人が通学途中で気づかされる時がある。

友達が「なんでおまえはゲタやねん」

すかさず、「朝の散歩」といけシャーシャーとボケをかます

 

福岡県で小学1年なっていきなりの転校で本も学校の習慣、言葉も変わる。

 

ここで話は性同一性障がいは健在であることを書いておく。

当然男友達が珍しいので寄ってくる。探検ごっこ、特捜隊ごっこ

でも女友達もできる、家に行ったらピアノを弾いてくれる。

スカートをはいてピアノを弾く姿なんかは憧れの憧れ。

子どもなりに感じる格差社会

「女の子になりたい」

しかし、子どもなりに淡い夢心が膨らんでくる。